未来への責任
昨日、8月6日の広島は、世界で初めて原子爆弾が投下された悲しみの日から72年目を迎えました。この一年間にお亡くなりになった被爆者5530人の名簿が加えられ、死没者は30万8725人となったそうです。毎年思うのですが、この数字にはその何倍もの人々の思いが込められています。原爆後遺症の苦しみを背負い続けた人、家族を失い悲しみを心に抱きながら人生を全うした人、一人ひとりに重くのしかかった戦争の傷は、72年経っても癒えることはありません。しかし、一方で広島や長崎の原爆に関する基本的なことがらを知らない、もしくは忘れてしまった方々も多くいます。8月6日、エノラゲイ、リトルボーイ、8時15分、ヒロシマ、8月9日、ボックスカー、ファットマン、11時2分、ナガサキ。夏休み中ではありましたが故郷の長崎では、8月9日に登校し平和学習を受けました。加害者としての戦争、被害者としての戦争、戦争を始めた理由を挙げればいくつもあります。しかし、それによって残ったものは悲しみ以外の何ものでもありませんでした。1981年2月25日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は広島の平和公園を訪れ「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。」と平和アピールを全世界に向けて発信しました。
2017年8月7日(月)聖ヨゼフ学園中学・高等学校 校長 清水勝幸
玄関前の花壇に咲いた「ヨハネ・パウロ二世」です。