日本の信徒発見の聖母
明治末期の長崎に、外国人のためのカトリック教会が建てられました。今は国宝とされる大浦天主堂です。1865年3月17日の昼過ぎ、パリ外国宣教会のプチジャン神父のもとに10数人の男女が進み出て、「ワレラノムネ、アナタノムネとオナジ」と250年以上も守り通してきた、キリスト教の信仰を伝えました。長く厳しい弾圧で、カトリックの信仰は途絶えていたと思っていたプチジャン神父は、彼らを教会内の聖母子像の前に案内しました。この信徒発見のニュースは瞬く間にヨーロッパまで伝わりました。司祭がいない状態で250年近い間信仰を守り通したことに、多くの人々は驚きと尊敬の気持ちを持たれたようです。一方で、長い間待ち焦がれていた神父様と、サンタマリアの御像を目の前に、隠れキリシタンと呼ばれて苦しめられてきた信徒たちの喜びも、非常に大きかったと思います。この時の聖母子像は、今も大浦天主堂の祭壇に奉られています。残念ながらその2年後、「浦上四番崩れ」と呼ばれる最後の大弾圧が始まり、3000人を超える信徒が流罪となり、650人近い殉教者を出すことになりました。「キリシタン禁制の高札」が撤去され、信仰の自由を手に入れたのは1873年のことです。今日は、教会の歴史を振り返りながら静かに祈りたいと思います。
2016年3月17日 聖ヨゼフ学園中学・高等学校 校長 清水勝幸
日本の信徒発見の聖母
ベルナール・プチジャン神父様